理事主題 『誇りと喜びを持って』  大会主題 『ここから未来へ

 ワイズメン、ウィメン、メネット、ユースの皆さま こんにちは。
この度、田中博之理事のもと201566()7()にかけて開催されます『第18回東日本区大会』をホストさせていただく厚木ワイズメンズクラブです。
 今回の大会テーマは、「ここから未来へ」といたしました。私たちワイズは、過去を振り返ることは申すまでもありませんが、同時に、今こそ未来に向かって大きく羽ばたくことを決意する時かとも思います。
 この時に当たり、国連のWHOから2010年にセーフコミュニティ~健康と安全都市~の認証を受け、市制施行60年を迎えた厚木市において、誇りと喜びに満ちたこの大会で多くの皆様とご一緒に1年を振り返り、明日を考えるひと時を過ごしたいと願っております。
 皆様にご満足いただける大会にしようと、理事ホームクラブの東京クラブを始め、11年前に厚木クラブの設立に関わってくださった 東京まちだ・東京コスモス・横浜とつかの各クラブの皆さんも、大会の開催に向け、わがことのようにご協力いただいております。
 ワイズの皆様、厚木自慢のロボットアツモも皆さまとお会いできるのを心待ちにしております。

 18回東日本区大会実行委員会 委員長 石井 芳隆
          ホストクラブ    厚木ワイズメンズクラブ 
協力クラブ      東京ワイズメンズクラブ 
         東京まちだワイズメンズクラブ
         東京コスモスワイズメンズクラブ
         横浜とつかワイズメンズクラブ
協  力         湘南・沖縄部
協  働       厚木YMCA
共  催       厚 木 市・厚木市教育委員会


厚木市について
厚木市の人口はこの10 月1日の速報では224,954人で増加傾向にあり、県内他都市と大変異なるところは昼間人口より夜間人口が3 万人ほど少ないことです。15 年2月に市政施行60 周年を迎えます。厚木市の妙なところは、厚木基地は厚木市になく、アツギナイロンや小田急線厚木駅も厚木市でなく、海老名市内にあります。厚木市におみえになる時は小田急線厚木駅でなく本厚木で降りてください。ゆめお忘れなく。


セーフコミュニティ都市
本厚木駅を降りていただいて北口に出ますと広場にWHO 認証の「セーフコミュ二ティ認証都市」の大きな構築物が目に入ります。夜間になると内部から点灯されてよく目立ちます。忘れもしません2008年5月例会で現小林市長から、市政についお話いただいたとき強調されたのがWHO の「セーフコミュニティ」認証の取得のことでした。「セーフコミュニティとは事故や怪我は偶然の結果ではなく予防できるとの理念のもと、地域住民と行政とが協働して、地域の誰もがいつまでも健康で幸せに暮らせるまち」を創る取り組みであると。当時日本で認証をとっているのは京都の亀岡市、青森の十和田市の2 市に過ぎませんでした。そんなむずかしい審査に合格するか、本当に市長さん大丈夫?と思いましたが。10 年秋見事に認証状を手にされ、第3 番目のセーフコミュニティ都市となりました。そのすばらしいことは今もなお市民協働によ安心、安全なまちづくりが継続的にすすめられていることです。


ロボット特区
2014年4 月神奈川県は県央地域がロボット特区の指定を受けたと発表しました。首都圏中央連絡自動車道(県央道)沿いの9市2町(藤沢、平塚、茅ヶ厚木、座間、海老名、相模原、寒川等)を大まかに三つの区域に分類し、災害対策、介護、医療、高齢者などに向け生活支援ロボットの開発や実証実験をすすめることになっています。厚木市周辺では筋肉の低下した高齢者や腕の麻痺した患者向けの介護・医療用ロボットの開発が既に実用化の段階にきており、新しいものづくり産業が動き出しております。相模原市には既に有名なJAXA がありますが、災害対策用ロボットの開発が、平塚市周辺ではロボットを活用して遠隔地から独居高齢者の安否を確認する実証実験が行われることになっております。いずれにしても、特区全域がロボット関連産業の一大集積地となるのも遠くないことでしょう。

 

ATSUMO(アツモ)について

ATSUMOとは、「あつぎものづくりブランドプロジェクト」の略称です。
「あつぎものづくりブランドプロジェクト」は神奈川県厚木地域の産学公が連携し、地域中小企業の技術開発力の強化と市場の拡大、並びにイノベーション創出などを通じて、『あつぎものづくりブランド』の価値向上や、地域経済の振興、将来の産業界を担う人材の育成に寄与するプロジェクトを推進します。

ロボット開発プロジェクト

ロボット開発プロジェクト

等身大ヒト型二足歩行ロボット「ロボコロ」

 

 

 ニッポンのものづくりが様々な課題を抱える状況にありながら、全国の地方都市では大阪府東大阪市の小型衛星「まいど1号」や東京都大田区の「下町ボブスレー」

など、地域中小製造業が結束して最先端のものづくりに挑戦し、脚光を浴びています。

 一方、平成25年には「さがみロボット産業特区」の指定を国から神奈川県が受け、ロボットに関連する産業に注目が集まっています。

 そこで、ATSUMOは会員企業が積み重ねてきた技術開発力の結集と産学公連携により、平成25年度内に等身大のヒト型二足歩行ロボット「ロボコロ」を開発するロボット開発プロジェクトを立ち上げました。




正式版のスペックは以下の通り。

身長:160cm

肩幅:85cm

胴体厚(奥行き):50cm

重量:17kg(バッテリー含む)

自由度:17(脚部10腕部613)


食べ物
厚木自慢の食べ物は相模川の鮎、高座豚で名高い豚肉があります。特に豚肉は横浜港開港に伴う外国人居留地の豚肉需要にこたえるため厚木を含む神奈川県高座郡一帯で盛んに飼育され,また好んで食べられるようになったもので、新鮮な内臓もモツ料理として珍重され、これがB級グルメ「厚木シロコロホルモン」として全国優勝を獲得する因となったといわれております。1流ホテルのディナーには豚肉は敬遠されるということで、東日本区大会時にはご提供できませんが、とん漬等お土産としては最高の一品としておすすめできるものです。


厚木と中村 雨紅

<童謡「夕焼け小焼け」>
夕方になると子供の帰宅を促すためにメロディーを流す市町村が多いと思います。
メジャーなのは、「夕焼け小焼け」でしょう。
厚木市でも「夕焼け小焼け」が流れています。
今まで気が付かなかったのですが、「夕焼け小焼け」と厚木市には意外な関係があったのです。
童謡「夕焼け小焼け」と作者:中村雨紅について調べてみましょう。




<中村雨紅>

・1897年2月6日、東京府南多摩郡恩方村上恩方字関場(現・東京都八王子市
 上恩方町関場)の「宮尾神社」神官の次男として生まれました。本名は高井宮吉

・1916年3月28日、東京府立青山師範学校を卒業。第二日暮里小学校に奉職。

・1917年5月15日、東京府南多摩郡境村相原(現・町田市相原)の中村家(おばの家)へ
  養子に行き中村姓となる。1923年5月29日に復籍。これは、結婚直後にあたる。

・1918年3月30日、新設された第三日暮里尋常小学校に転勤。
  このころから同僚と回覧文集を作り、「童謡童話運動」を始める。

・1921年、『金の船』に童話と童謡を投稿して掲載される。
  当時の筆名は「髙井宮」という。この頃、病気の野口雨情を訪問。
  これを機に、雨情に師事し、童謡や詩を多数創作。ペンネームを髙井宮から、
 「中村雨紅」に変えた。「中村」は養子先の姓で、「雨紅」は野口雨情の
 「雨」の一字をもらい、「それに染まる、にかよう」との思いを込めた「紅」。

・1923年7月、文化楽譜『あたらしい童謡』(文化楽社刊)に、
 「ほうほう螢」「夕燒小燒」が掲載。

・1924年3月31日、東京府北豊島郡板橋尋常高等小学校訓導となる。

・1926年3月、日本大学高等師範部国漢科を卒業。
  授業をこなしながら二年間の夜学で中等学校教諭の免状を得た。

・1926年4月14日、東京府北豊島郡滝野川高等小学校訓導となる。

・1926年12月30日、県立厚木実科高等女学校(現・厚木東高等学校)教諭になる。
 退職までの23年間、ここに勤めました。
 
・1927年1月7日、東京から神奈川県愛甲郡厚木町(現・厚木市)に引っ越した。

・1962年11月27日、元湯 玉川館に中村 雨紅直筆の碑を建立。
 「夕焼け小焼けの碑が終生の地となる神奈川にはないんだよ。」と
 おっしゃる中村氏の思いに玉川館が中村氏のお選びの位置に建立

・1972年5月8日、厚木県立病院(現・厚木市立病院)で亡くなる(享年75歳)
 厚木市に引っ越して、亡くなるまで45年間、厚木市に住んでいた。 
 厚木小学校の校歌は、作詞は中村雨紅で、作曲は岡本敏明です。

                   (池田小百合なっとく童謡・唱歌 & 元湯 玉川館より)


ここまで読めばお分かりの通り、「夕焼け小焼け」の作者の中村雨紅氏と
厚木市とは長い付き合いがありました。
また、中村氏は、厚木市七沢の夕焼けは故郷の風景に似た趣があるとも
言われており、「夕焼け小焼け」は厚木の歌とも言えます。
夕方に「夕焼け小焼け」のメロディーを聞く時がありましたら、
歌詞を口ずさみながら、子供の頃を懐かしんでみてください