東日本区大会の成功に感謝

 

  ホストクラブの厚木クラブおよび協力クラブの東京クラブ、東京まちだクラブ、東京コスモスクラブ、横浜とつかクラブならびに協力部としての湘南・沖縄部の皆さまのご尽力によって、431名の参加を得て、盛大、有意義な大会となったことを皆さまに感謝申しあげます。

 

  一昨年の10月、 大会準備が本格的にスターしました。キックオフミーティングの席上、「厚木らしさ」を出していただきたい、登録費はできるだけ安く抑えていただきたい、晩 餐会は全員が一室に着席で料理も席に運んで欲しい、学び・啓発の場として分科会を開催したいなど、さまざまお願いをいたしましたが、それらのすべてに見事 にご対応いただき、大会を開催することができました。

 

参加された皆さま、ご満足いただけましたでしょうか。

  晩餐会のテーブルをクラブ毎でなくアトランダムにしたのも私からのお願いでした。いつものメンバーで集まるのではなく、他のクラブの方々との新しい出会い、語り合いの場をご提供しようと考えました。その目的が達成できたことを願っています。

 

  予想を超える参加者で、座席の面でご不自由をおかけした方々もいました。改めてお詫び申しあげます。

 

  厚木クラブの皆さまには大会の成功を感謝申しあげるとともに、大会の準備委員会に毎回出席する中で、厚木クラブの皆さんが、どんどん元気になっていかれた こと、司会を行われた小林さん、小松さんを始め多くの新入会者が得られ、それぞれご大会でも活躍いただいたことを何より喜ばしく思っています。

 

  大会の席上、第19代東日本区理事に甲府クラブの渡辺隆さんの就任式が青木元国際会長のもと執り行われ、理事バッジ、理事メダリオンを引き継ぎました。

 

  渡辺さんを始めとして次期の役員の皆さまのご活躍をお祈りいたしますとともに、今期同様に、東日本区の皆さまのご協力、ご支援をどうぞよろしくお願い申しあげます。

 

就任式、引継式は行なわれたものの、私の任期は6月一杯です。次期に、良いバトンタッチができるよう最後まで力を尽くします。

 

これまでの皆さまのワイズダム発展へのお働きそして私達東日本区役員へのお支え、お励まし、誠にありがとうございました。

18代東日本区理事

田中博之


東日本区大会を終えて

暑くもなく寒くもなく、さわやかな風吹き渡る中津川国際カントリーで参加者の皆さんをお待ちしているとき、いよいよ始まったんだとこれまでの準備段階における諸々が頭に浮かんでは消えていきました。

参加いただいた方へのお礼
今大会は昨年度に続いて関東地区での開催、特に観光地でもない厚木、アジア大会が近いということで参加者が少ないのではないかとの不安がありました。
しかし、それでも出来る限りの努力をしようと決意をして協力クラブとともに頑張ってまいりました。
登録を開始してみると順調に数を伸ばし、結果的には431名のご参加をいただきました。
ご参加いただいた皆様の熱き友情に深く感謝する次第です。

行政との共催
今大会の大きな特徴として行政(厚木市)との共催があります。具体的には、施設利用料の減免、担当各部からの人的支援などがそれに当たります。行政として も厚木市を広く知ってもらう良い機会だったと思います。参加された皆様におかれてはどのような印象を持たれたでしょうか?

準備会
2年ほど前に田中理事より方針を説明していただき、それをもとに準備会を進めてまいりました。基本的には1回/月の開催でしたが、理事には毎回のように出席していただきアドバイスを頂きました。我々にとって都度理事に確認でき大変助かりました。
しかし、会が進んでも決まっているようで決まってない項目があり、大会2週間前になって慌てて決めたりしました。

部からの支援
湘南・沖縄部からも支援をいただきました。先が見えない状況での支援は大変ありがたかったことを思い出します。

天も味方してくれました
前日さわやかにスタートしたゴルフ、役員会、前夜祭と進むうち雨が降ってきました。夜には本格的に降りましたが朝には止んで良い天気になりました。その日の夜にはまた雨が降りましたが、早朝散歩のときは晴れてさわやかな川風の中気持ちよく実施できました。
よほど日頃の行いがよくないとこうはいきません。

終わりに
ずっとドキドキしながらの準備~本番でした。我々がモットーとするところは元気で明るく接し、参加者にとって心に残る大会にしようという事でしたが私たちの心は届いたでしょうか?
大会が成功するかどうかは大会プログラムの質とスタッフの一生懸命さに左右されることを強く感じた次第です。そして「仲間」というキーワードでつながれることが大切であることに気付かされました。
スタッフ、協賛していただいた方々、参加していただいた方々、本当にありがとうございました。

実行委員長 石井芳隆